◆◆◆ 農産製造学・食品化学研究室の歴史 ◆◆◆

(文責:小野伴忠)

農産製造学について

岩手大学農学部農芸化学科における農産製造学講座 (1963-1994,昭和38年−平成6)

応用生物学科 生物利用学専修 食料栄養化学講座の食品化学研究室 (1994-2003,平成6年−平成15年)

農業生命科学科食料栄養科学講座における食品化学研究室2003-2010,平成15年−平成22年)

 

研究室の所属学科変遷と指導教員の担当年

卒業・修了年と担当教員

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農産製造学について

日本において農産製造学が大学の1教育研究部門として発足したのは,東京帝国大学に農科大学ができた1890年(明治23年)である.農科大学テキスト ボックス:  
東京帝大農科大農芸化学教室
には,農学科第二部があり,そのなかに農産製造学があった.農学科第二部は明治26年(1893年)には農芸化学科となっている.農産製造学は,農産物の保蔵,加工,食品生産に至る広い範囲を担当していた.その中でも発酵生産部門が次第に大きな比重を占めるようになり,微生物利用学が独立するに至り,農産製造の守備範囲は農畜水産物の加工保蔵,生産が主体となった.担当科目としては,農産物利用学,畜産物利用学,水産物利用学,さらに食品化学,食品保蔵学,食品製造学なども含まれていた.その後,畜産物利用学,水産物利用学は水産学科,畜産学科の創設とともに主分野から外れていった.

大学における研究分野は,食品成分の加工による変化が中心であり,糖質,脂質,タンパク質に加え,ビタミン,ミネラルなど全ての成分が含まれる.各大学の農産製造学研究室は,互いに特徴的な成分を分業して受け持ち,研究が行われてきた.

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岩手大学農学部農芸化学科における農産製造学講座の発足

 岩手大学農学部は明治35年(1902年)設立の盛岡高等農林学校が母体となっている.農芸化学は明治42年(1909テキスト ボックス:  
高等農林の農芸化学科教舎
年)農学科第二部として発足し,大正2年(1913年)からは独立して学生募集が行われ,大正6年(1917年)には農芸化学科となった.新校舎も大正9年(1920年)に竣工している.農学科時代から農産製造は重要な科目であり,佐藤義長教授はこれを担当していたが,農学科第二部創立とともに第二代の校長に就任した.農産製造学を担当した主な教員は高等農林時代では,佐藤義長(1903-1905),吉村清尚(1905-1909),村松舜祐(1909-1932),有働繁三(1932-1936),朝井勇宣(1936-1939),石丸義夫(1939-1946),柴崎一雄(1946-1949)である.

その後岩手大学となり昭和26年(1951年)に野本只勝が教授に着任した.年来概算要求してきた応用微生物学講座が昭和37年(1962年)7月に認められ,それまで農産製造学を担当してきた教員は新講座へと移行した.従来の農産製造学講座は総合農学科解体により移行した小田切 敏助教授を主体として開始した.昭和38年(1963年)には北海道大学より転任した伊東哲雄助手が加わり,この年から農芸化学科の卒論専攻生を受け持つことになる.この年の2月には農学部鉄筋コンクリート新校舎の先頭を切って農芸化学科棟が竣工し,第1回卒論生は新校舎での卒論研究となった.昭39年(1964年)より大学院修士課程が新設され,初年度入学生には第1回卒論生の石直圭治氏が含まれている.氏は後に旭川短大の教授となっている.小田切助教授は昭和387月から米国カリホルニア大ディービス校に留学していたが,昭和406月末には教授となって帰国し,小田切,伊東による教育が名実ともに始まった.昭和444月からは大学院修了生である小野伴忠が助手として採用になり,教授・助教授・助手の講座体制での教育となった.

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農芸化学科新校舎(1964)
この頃の授業科目は,農産物利用学,畜産物利用学,農産物利用学実験実習,そして非常勤講師による食品製造機械学,水産物利用学,工場管理,化学工学などが担当範囲であった.非常勤による科目は選択の講座外科目で,食品工場などでの技術者,管理者を想定したものである.しかし,工学部の充実や就職先の多様化により,これらの選択科目は次第に廃止になっていった.

小田切教授の下,27年間の研究室における教育で,学部生138名,大学院生16名,研究生6名が学び,社会へと船出していった.平成2年(1990年)2月に小田切教授の最終講義があり,3月で退官した.小野は助教授となり小田切教授の授業を引き継ぎ,伊東,小野体制での教育が,次に示す改組された応用生物学科食品化学研究室で開始された.

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応用生物学科 生物資源利用学専修 食料栄養化学講座の食品化学研究室へ

平成3年(1991年),大学改組の動きは急を告げ,農学部学は獣医学科を除く6学科(農学科,農芸化学科,畜産学科,林学科,農業土木学科,農業機械学科)が3学科(農林生産学科,応用生物学科,農業生産環境工学科)へと改組された.農芸化学科は土壌学,肥料学を農林生産学科へ,他の講座は応用生物学科へ属することとなった.応用生物学科は3専修7中講座からなり,農産製造学研究室はこの改変に合わせて食品化学研究室と改名し,生物資源利用学専修,食料栄養科学中講座(農芸化学科からの栄養化学と本研究室からなる)に位置することとなった.平成2年からは弘前,山形大学 との連合大学院として博士課程も設置された.

実際に応用生物学科の学生が卒論生となったのは3年生後期の平成510月からであり,平成73月卒業の諸君からであった.しかししばらくは大学院学生が農芸化学出身者であり,また農芸化学科残留者も加わり,共に学ぶ体制であった.生物資源利用学専修は林学科の林産化学,木材工学からなる木材利用科学講座との2講座体制であり,食料と木材が教育の基盤となる難しい体制であった.講義は必修が少なく大幅な選択科目よりなり,学生は戸惑うこととなった.食料と木材の両者を納めた卒業生を必要とする分野が社会的にはほとんど無いことから,3年生から講座に分かれて教育をすることとなった.そのため食品系を目指す学生は,応用生物学科に入学し2年生で専修に分かれ,さらに3年生から中講座に分かれるという腰を落ち着けて勉強しにくい環境であった.専修分けでの学生数の調整,さらに講座分けでの調整と学生も教員も苦労の多い時代であった.

この間,平成7年(1995年)には4号館(旧農芸化学棟)の大型改修があり,夏から平成83月まで7号館での仮住まいとなった.32年間(1963年竣工)の星霜を経た4号館は雨漏り,漏電,壁の亀裂や低温実験室の度々の故障に泣いたが,ついに改修が認められた.改修により,土壌学が2階から1階へ移動し,微生物が2階へ移動した.3階北側には食料栄養科学講座の学生実験室や測定室,共同実験室ができ,会議室が2階から3階へ移動した.断熱が良くなり,冬は暖かくなった.食品化学研究室は3階の東側の南部屋を占めることとなった.しかし,この数年後から,教員当たり25m2の居室と50 m2の実験室以外は学部共有スペースとなり,研究室保有の部屋は原則無くなり,必要な場合は毎年借用申請を行い,許可されなければならなくなった.専攻学生数により研究室の広さが変化することとなり,合理的になったとも言える.教員退職の際は、備品は移管、消耗品は始末して居室・実験室とも空にして返すことになった.

平成103月(1998年)で伊東哲雄教授が停年退官となり,2月に最終講義が行われた.農芸化学科から応用生物学科へと落ち着かない時代であったが,伊東・小野体制で7年間,学部生44名(累計182名),大学院生10名(累計26名),研究生1名(累計7名)が学び,社会へと船出していった.

平成10年には伊東教授退官後,小野が教授となり助教授が決まるまで1人体制で学部生7名を受け持つこととなった.平成8年博士課程入学の郭順堂氏(現中国農業大学教授)が最終学年で在籍し,多いに助けられた.平成113月に研究室初の課程博士が誕生した.2月からは助教授に塚本知玄(生化学S55年卒)が採用され,平成11年より小野・塚本体制での教育が始まった.

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農業生命科学科食料栄養科学講座における食品化学研究室

平成12年(2000年),獣医学科を除く農林生産学科,応用生物学科,農業生産環境工学科は農業生命科学科と農林環境科学科となり,その中に大講座がある体制へと改組された.多くの矛盾を含んだ応用生物学科生物資源科学専修は改組により農業生命科学科食品健康科学講座と農林環境科学科森林科学講座へと移行した.食品化学研究室は農業生命科学科の食品健康科学講座(食品化学,栄養化学,食品工学分野からなる)に位置することとなった.大講座制では小講座制とは異なり予算が教員別(人員均等割)となり,教員毎の研究室体制が基本となった.しかし,研究室配属の学生はまだ応用生物学科の学生であり,農業生命科学科の学生が専攻生になったのは平成1410月からで,卒業は平成163月である.そのため小野・塚本体制は平成114月からから最後の応用生物学科生が卒業した平成15年(20033月までの4年間であった.学部生20名(累計209名),大学院生10名(累計37名),研究生2名(累計9名)が学び,社会へと船出していった.

平成16年(2004年)から国立岩手大学は法人化され,国立大学法人岩手大学となり,教職員は国家公務員ではなくなった.教員の採用も学部単位でなく学系への所属となり,学部にまたがった教育も可能となった.教育研究費は年度内使い切りではなくなり,少ない予算を年越して融通できるようになった.教員当たりの教育研究費の額は相変わらず少なく,研究を行うには外部資金によるしかない体制には変わりなかった.

農業生命科学科の卒論専攻学生配属は,以前の研究室配属ではなく教員毎の配属となった.これには博士課程の充実等により助手採用も博士であることが必須条件となり,教員の実力がアップし,平等意識が強くなったことと,大講座制のため予算も教員均等割で配分されるようになったためである.平成154月から食品化学(小野)研究室と食品化学(塚本)研究室に分かれて教育研究が行われることとなった.伊東・小野体制のように研究室は同じで指導は各教員が行うことも考えたが,外部資金等の出所研究分野が異なり,研究の方向も大きく異なることからゼミや研究発表を共同で行うことは難しく,それぞれの研究室で行うこととなった.

農業生命科学科は学生数100名近い大学科であり,専門教育は大講座毎で行われた.学生の学科や講座帰属意識が希薄となり,社会的にも学生の受けた専門教育の分野が不明瞭で見えにくくなり,就職先のミスマッチが増加した.そのため,平成19年(2007年)にまた改組され,学科体制から課程体制へと移行した.食品化学研究室は応用生物化学課程に位置することとなった.応用生物化学課程は旧農芸化学科と同様に土壌,肥料学を含み,さらに食品工学が加わり構成された.教育は旧農芸化学の延長発展上にあり,3年生の午後は実験で占められ,3年後期から研究室配属が行われるが,卒論研究の実質は4年生になってから始まる.就職先も食品,薬品,環境と農芸化学同様に広い分野をカバーするようになった.

平成15年(2003年)4月から22年(2010年)3月まで食品化学(小野)研究室では農業生命科学科食料栄養科学講座の学部生23名(累計232名),大学院修士課程6名(累計41名),博士課程6名(累計8名)が学び,卒業・修了し,社会へと船出して行った.平成223月卒業が農業生命科学科学生の最終年である.小野伴忠教授も平成223月で定年となり,2月に最終講義が行われた.農産製造学講座から食品化学(小野)研究室まで小田切,伊東,小野教員によって続いてきた農産製造学・食品化学研究室は小野教授の退職で一先ず休止した.以上が岩手大学における農産製造学・食品化学研究室の概略史である.

学士232名,修士41名,博士8名の同窓生を社会に輩出し,現在も多くは社会で活躍している.

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次に研究室の所属学科変遷と指導教員の担当年

および卒業・修了年と担当教員を記す.

 

[研究室の所属学科変遷と指導教員の担当年]

農芸化学科

農産製造学講座 (1963-1994,昭和38年−平成6)

指導教員;小田切,伊東 (1963-1969)

;小田切,伊東,小野 (1969-1990)

;伊東,小野(1990-1994

 

応用生物学科 生物資源科学専修

食品化学研究室 (1994-2003,平成6年−平成15年)

指導教員;伊東,小野 (1994-1998)

;小野   (1998-1999)

;小野,塚本 (1999-2003)

                                   

            農業生命科学科 食品健康科学講座

食品化学研究室2003-2010,平成15年−平成22年)

指導教員;小野

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[卒業・修了年と担当指導教員]

卒業・修了年                 指 導 教 員 

 1963(S38)−1969(S44)     小田切敏,伊東哲雄

 1970(S45)−1990(H2)    小田切敏,伊東哲雄,小野伴忠

 1991(H3)−1998(H10)    伊東哲雄,小野伴忠

 1999(H11)          小野伴忠

2000(H12)−2003(H15)    小野伴忠,塚本知玄

2004(H16)−2010(H22)    小野伴忠


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