盛岡高等農林学校3年の賢治

 宮沢賢治は1915年(大正14年)から1920年(大正20年)までの間,本学の前身である盛岡高等農林学校に在学している.県立盛岡中学校在学時から岩石や鉱石の採集に熱心で,仲間から「石っこ賢さん」と呼ばれていた.賢治は本土壌学研究室の前身である地質乃土壌学教室に所属し,多くの岩石や鉱石を集め,「腐植地質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値」という卒業(得業)論文を残している. また, 賢治は盛岡高等農林学校や鉱石・土壌に関する 作品を数多く残している.

 平成5年には,それまで1点しか存在しないとされていた賢治自らが採取した鉱石数点が,本研究室において発見され,現在は花巻市にある宮沢賢治記念館に保存されている.