「まだ元気な退職教員のつぶやき」     2012.2 

テキスト ボックス: さて,定年退職して2年が過ぎた.
この2年間は,専門書や教科書の製作に関わったり,講演を頼まれたり,
某会社の技術顧問など,それなりに仕事をしている感じであった.
また,研究者になることであきらめた趣味等も復活し,
意外に忙しい2年であった.
でも今年は,講演も少なくなったし,著作活動も今の所予定無く,
だからといって趣味三昧も味気ないで,いかにすべきや.
一応,特任教授でサービス講義や資料の整理等を行っているが,
特任も今年1年で終わりである.
元気な老人はいかにすべきか,いかに活用されるべきか.
カナダや米国では研究が続けられる限り(研究費を得てPDを雇える限り)
大学で研究は続けられる.社会への還元が可能なのだ.
私がお世話になったN先生は80歳でも研究を続けておられた.
また,米国で知り合ったSさんは私より2歳年上だが
まだ現役である.(最近,少々しんどそうだが)
もちろん,日本は日本なのだからと思うが,
人口減による支え人口の不足が問題になっている.
なぜ元気な老人達を活用しないのだ.
日本的な扶養手当や児童手当等を必要とせず
年金も先送りできるのに.
さらに,スキル抜群の人もいるはずなのに.
古くからの常識にとらわれた硬直化社会は衰退するのでは.
役所や会社が定年制を重視するのは
年功序列による給与体系により
高齢者ほど給与が高いため.
子育て費用を個人に任せている場合は
年功序列が有難い制度だが,
社会が子育てや教育を支えるならば,
年功序列は必要なく,
仕事達成度による給与体系で良いのではないだろうか.
年功に関係なく仕事ができる.
仕事へのやりがいも給与に還元される.
仕事ができる人は年齢に関係なく仕事ができる.
人間皆,仕事がしたいわけではなく
できるなら楽をして報酬を得たいし,生き長らえたい.
でも,ここで人間は(自分は)なぜ生きるのか,
なぜ生き長らえたいのか考えるのでは.
もちろん人間は生命体*であるから
(*生命体:命あるもの,命をつなぐことによりその種を続けようとするもの)
生きようとするのは当然です.
人間は生きるのに,多くの人間を生きさせるために
生きるための仕事を分業し,それを組み上げることにより達成してきた.
そう,社会を創りあげ,その中で特定の仕事をすることで可能になったのです.
現状では社会の一員として仕事に参加することが
生命体として生を全うする方法となっているわけです.
ですから,
老人に敬意を示すため「引退してゆっくりして下さい」と言うのは
生きるための活動を止めて下さい,
早く社会から出て行って下さいと言っているに等しいのでは.
老人が生き生きと生命を全うできる社会にするには
何らかの形で社会に参加できることが
重要なのではないでしょうか.
このつぶやきは,まだ続く予定です・・・

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