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 昨年 (2014年秋)、伸び放題にしていた庭木を切ることにした。フェンス代わりに植えたオニヒバは、大きくなりすぎ剪定不可能になり、4050cmだったナナカマド、モクレン、ヒメコブシの苗は、どんどん伸びて3mを越え、いくら切ってもさらに伸びている。庭造りのため入れた山の腐葉土からと思われるスギの芽は、今では10m近くなり、素人では切ることさえできなくなった。このスギは居住開始の記念樹といったところだが、35年でこの大きさである。 

そこで職人さんに、かなり徹底して切り詰めていただいた。また、いつの間にか生え覆い被さっていた3本の桑は、根本から切ってもらった。すっからかんの見通し良い庭となった。そのため隣から素通しの庭となり、家の中まで丸見えとなる。こまめに窓のブラインドを調節する必要が出てきた。いずれにしろ、12年でまた伸びるものは伸びるだろう。それまでの我慢である。 

今まで樹間に埋もれていた手作りの池は、白日の下に姿を現し、ヒヨドリやオナガが水浴びにやってくるのがよく見える。時々水を足し、水面の掃除をしてやっている。それを知ってか知らずか、良くやって来る。また、いつの間にか生えてきたニシキギ、ミツバウツギ、樹間にひっそりと生えてきたアオキ、置きっぱなしのプランターに生えてきたオオカメノキやミズキ。これらは、庭の適当な位置に植え替えてやろうと思っているが、さて、許可なく生えてきたこれらの雑木はどこから来たのだろう。これらはいずれも鳥の餌となりそうな実を付ける木だ。おそらく、野鳥が食べた実の糞から芽を出したものに違いない。自作の池が呼び水となり、良く鳥が来ていたのだろう。勤めがある時代には、鳥の水浴びを見る機会は少なかったが、日中も家に居るようになると、よく見かけるようになった。今ではこれら鳥の訪問が待ち遠しく、なぜか楽しい。そして、鳥の餌となる木がどのように大きくなるか楽しみだ。 

住宅地の庭は、隣近所に迷惑にならないように管理する必要がある。そのため手をかけないでそのままというわけには行かない。少なくとも隣家との境の草木には手を入れる必要がある。でもその中側は、迷惑にはならないし、ほったらかしても良いはずだ。自然は、互いの生存競争から最も妥当な道を選択しているはずなのだ。人間がそこにどれだけ関わるかは、それぞれの人の考えによるだろう。人が関われば関わるほど、自然から遠くなり、人為的な箱庭となる。畑や花壇は正にこれであると思う。この場合、自然に戻るのを阻止するために、除草や剪定に営々と労働力を投下し、自然に逆らう必要が出てくる。しかし、自然に任せ、将来的景観に多少の修正を入れるだけだと、楽である。木の位置の若干の修正、日向と日陰の将来的な位置を思いやり、草本を配置する。見守るには、生える草木を思いやる心が大事であり、それらの性質を学ぶことも重要であろう。 

私は退職を機に、八幡平に約900平米のリゾート地を手に入れた。そこに小さな家を建て、家までのアプローチと家の周りだけは適当に整理するが、その他は成り行きに任せている。売り地であった時には、大きい木はそのままで、下草は刈っていたため木の他は草地であった。ところが、草も刈らずそのままにして5年、至る所からミズナラ、ヤマモミジ、タラノキ、クマイチゴ、ウツギ、さらにはハナイカダまで出現してきた。だんだん鬱そうとした藪に変わってくるが、一応そのままにしておこうと思う。これがどう変化してくるかが楽しみである。自然は自然に任せ、人間はそれを見守ると言うことで行こうと思う。でも全体の景観を考え、多少の手を入れることも考えたい。更に5年でどうなるか楽しみである。しかし私はこの後何年この自然の森の成り行きを見ることができるのだろう。人間という種の限界に挑戦して見続けたいが、そうもいくまい。 

自然の森を目指し人為的に作った明治神宮の森は、適度な植栽から約80年、手を加えないことにより見事な自然の森になって来たと言う。時間はかかるが、自然に任せることが最善策のようである。我々は自分の寿命を超える自然の営みを見続けることは不可能であるが、しかし、目の前の自然の営みついて余りにも知らないように思う。自然を一時的に破壊することは簡単だが、短い時間での自然の再生は非常に難しい。むしろ自然に任せることが、日本のような雨の多いモンスーン地帯では賢い方法ではないだろうか。でも、神宮の森は、その当時の森林科学者が100年後を考え気候風土にあった樹木を選定し、混交林を作ったという。このような知識を持たない素人の私の場合、樹木の選定も自然に任せるしかないのかも知れない。宮脇らが全国の植生図をまとめている。大変な時間をかけ編纂した貴重な本で、高価でもあり、個人的に購入するような本ではない。大学の図書館にはあるようなので、参考にしたいと思う。というのは、今生えてくる木は主に近くにある木の幼樹であり、必ずしも植生にあっているかは疑問である。 

この別荘地となった岩手山の裾野は、戦前戦後の燃料難時代にほぼ皆伐され、その後火山灰地でも良く生えるカラマツが植えられた地帯である。5060年の間に樹間に生えたミズナラ、コナラ、アオダモ、ホウ、ミズキ、オニグルミ、トチ、ナナカマド、クリ、ヤマモミジ、クワなどがそれなりに大きくなり、カラマツは50年ぐらいの太さではあるが、下枝が枯れ、10m以上の上部だけに葉が残っている。このリゾート地が造成整備されたのは25年前(1990年)で、切り開いた南北に伸びる道路際にはハンノキがそれなりの太さ(大きいので20年位)で立ち並んでいる。なぜか東西の道路際には少ない。森林の切り開き地では、南北は光が良く当たるが、東西は朝と夕は当たるものの、日中は木陰となりほとんど日が当たらないためと思われる。また道路ぎわにはウリハダカエデも目立つ。造成から25年、家を建てた区画では、居住区では人それぞれに花壇や畑が造られ、たまにしか訪れない所では造った庭がまた森へ帰ろうとしている。

 今回はこれまでとし、自然について何処まで学び深められるか、次回をお楽しみに。


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