猫多発性嚢胞腎 (PKD)

ネコの多発性嚢胞腎は,ゆっくりと進行する不可逆的な遺伝性腎疾患です.本疾患は,他の動物種でも報告があり,ヒトでは難病指定されています.

本疾患は,約30年ほど前に初めて報告されましたが,原因の解明が本格的に始まったのはごく最近の話であり,2004年にようやく, 多発性嚢胞腎の原因はある遺伝子の変異によるものだということが判明しました. したがって,本疾患に対する有効な治療法の開発は着手されておらず,臨床治験が進んでいるヒトに比べ,研究の余地が多く残っている疾患だといえます.

私たちは,ネコの多発性嚢胞腎に対して,(1)臨床検査と遺伝子診断の併用による多発性嚢胞腎の確定診断(2)腎嚢胞の拡大および液貯留のメカニズムの検索 (3)多発性嚢胞腎に対する新しい治療法の開発,というテーマを掲げて研究を進めています.

臨床検査と遺伝子診断の併用による多発性嚢胞腎の確定
古くから家族性の多発性嚢胞腎は、ペルシャネコに発症することが報告されていましたが、私たちの研究により, アメリカンショートヘアー,スコティッシュホールド,雑種などでも同様に存在することが分かっています (佐藤れえ子ら, 2010).

本疾患は,PKD1という遺伝子が変異することによって引き起こされます.この遺伝子は,腎臓の尿細管細胞に発現しているポリシスチン1蛋白を作り出しています. ポリシスチン1蛋白は,腎臓を構成する細胞・細胞間または細胞・細胞外マトリックス間の接着蛋白として, あるいは細胞増殖・細胞内シグナル伝達に関与する細胞膜上の受容体としての役割が指摘されています.

現時点で,ポリシスチン1蛋白の異常が本症における嚢胞形成などの病態に関与すると考えられていますが, 詳しいメカニズムについては不明な点が多く残されています.PKD1遺伝子異常によって,腎臓に大小様々な嚢胞が形成されます(図1). 年齢が進むにつれ、嚢胞の数および大きさが増大し,最終的には腎不全を引き起こし,自然に発生した腎不全のネコと同じような臨床症状を示します.

これまでは,臨床症状および超音波検査等の画像診断から本症を診断していましたが,現在は,原因遺伝子の特定により, 遺伝子診断を組み合わせることで確実に診断できるようになりました.

岩手大学農学部附属動物病院では本遺伝子診断のシステムを導入することで, 腎臓に嚢胞が存在する症例のうちから,PKD1遺伝子異常によるものかどうかを鑑別診断することが可能となりました. 超音波検査と異なり,若齢からの診断が可能なこと,また検査材料はヘパリン加全血1ml程度でよいことから汎用性が高いと考えています.

この遺伝様式は常染色体優性遺伝であることから,どちらかの親がPKD1遺伝子変異をもっていると子どもに50%の確率で遺伝し, 本疾患を発症させることになります.したがって,本遺伝病を蔓延させないという観点から,PKD1遺伝子変異をもつネコを繁殖に供すべきではなく, この遺伝子変異が見つかった場合,親・兄弟姉妹も検査してみる必要があります.

腎嚢胞の拡大および液貯留のメカニズムの検索

多発性嚢胞腎に特徴的な嚢胞形成ですが,「細胞増殖」と「嚢胞液分泌」が重要な鍵であるとヒトの多発性嚢胞腎で報告されています. さらに,細胞増殖および嚢胞液分泌には,内因性cAMPによる刺激が関与していると考えられています.
内因性cAMPは,ヒトの多発性嚢胞腎細胞において,細胞の増殖刺激に加え,Cl-チャネルに影響を及ぼし, 嚢胞内への液を分泌させるのに重要な働きをしていることが報告されています. しかし,ネコの多発性嚢胞腎においても同様の病態が存在するのかは明らかとなっていません.
そこで,私たちはネコの多発性嚢胞腎から採取した細胞の初代培養系を確立するべく,研究を進めています. ゆくゆくは,本遺伝病の病態を明らかにし,細胞増殖および嚢胞液の分泌を抑制できる因子を突き止め,ネコの多発性嚢胞腎に対する治療法の開発を目指しています.


図1. 多発性嚢胞腎の超音波画像
腎臓の構造は破綻し,大小様々な嚢胞と内部の液体貯留が観察されます

発表論文
★佐藤れえ子, 小林沙織, 佐々木一益, 宇都若菜, 御領政信, 佐々木 淳, 神志那弘明, 安田 準
PKD1遺伝子変異が認められ長期間観察した多発性嚢胞腎猫の嚢胞液の変化. 日獣会誌 63:791-796, 2010.


お問い合わせ
岩手大学附属動物病院では、多発性嚢胞腎の遺伝子診断を行っております。
検査をご希望の際は病院HPをご覧ください。

なお、岩手大学検査部以外での検査機関にてPKD遺伝子検査をされた場合の結果についてのご相談には一切応じておりません。
ご質問等がある場合は、ご依頼された検査機関へお問い合わせくださいますようお願い申し上げます。

飼い主さまへのお願い
ネコ多発性嚢胞腎症の原因については、PKD1遺伝子変異の情報以外はほとんど解明されていないのが現状であり、有効な根治的な治療法もありません。 そのために、多発性嚢胞腎症に対する新しい治療法を開発するために病気の原因についてもっと知る必要があります。 現在、当研究室では、治療法を見つけたいとの強い思いから、多発性嚢胞腎の病態解明に力を注いでおります。 しかし、そのためには多発性嚢胞腎症になったネコちゃんの腎臓における病理検査が必要なのです。
長年家族の一員であったわが子を送り出すことは大変つらいことではありますが、今現在、多発性嚢胞腎症と闘っている他の多くの子達のためにぜひご協力をお願い申し上げる次第です。
闘病を終えたネコちゃんの嚢胞を形成した腎臓や肝臓をご提供してくださる方は岩手大学動物病院もしくは当研究室(reekos@iwate-u.ac.jp)までご連絡くださいますよう何卒お願い申し上げます。

獣医師さまへのお願い
お送りいただける場合は、生理食塩水に保存していただき、冷蔵で郵送していただけると幸いです。
(〒020-8550 盛岡市上田3-18-8岩手大学農学部小動物内科学研究室 tel:019-621-6238)
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伴侶動物における免疫疾患

私たちの周りには様々な病原体が存在しています。地球上に生息する生物が、様々な病原体の存在にも関らず生命を維持している蔭には、 実に巧妙な生体防御機構の存在があります。生体防御機能は、生きていく上で備わっている必要不可欠な機能であり、 生体防御機構の破綻は生存の危機を意味します。
私たちは小動物の免疫不全疾患における生体防御機構について興味を持ち、研究を進めています。その中で特に、(1)先天性疾患としてイヌの好中球機能不全症、(2)後天性疾患としてネコ免疫不全ウイルス感染症における生体防御機構について個体レベルだけでなく、細胞、分子、遺伝子レベルでの病態解明を目指し研究を進めてきました。また、本研究を進展させることで、新規の治療に応用可能な知見を提供できればと考えています。

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(1)イヌの先天性好中球機能不全症

好中球は、病原体を見つけて駆けつける「遊走能」、現場にとどまる「接着能」、病原体を食べて殺す「貪食・殺菌能」という機能を持ち、 第一線で病原体と戦う細胞で生体防御において重要な役割を果たしています。

いずれかの機能が破綻した先天性好中球機能不全症は、幼少時から易感染性を示し、抗生物質の治療に反応せず、 細菌・真菌感染を繰り返すことを特徴とし、時として命にかかわる疾患です。
イヌでは純血種での好中球異常症が少数報告されているものの、雑種での報告はなく治療法に関する研究もほとんどありませんでした。

私たちは、免疫学的および分子遺伝学的手法を用いて、これまで報告がなかった雑種犬での新しいタイプの先天性好中球機能不全症を見出しました (Kobayashi et al, 2009)。
この好中球機能不全症は同腹犬2頭で発症しており、いずれも生後数ヶ月から易感染性を示し、以来、細菌感染の再発を繰り返し、 抗生物質等の治療に反応せず重症化している状態でした。臨床所見や病歴から好中球機能の異常を疑い、一連の好中球機能検査を実施したところ、 接着能、貪食・殺菌能が全て減弱していることが判明しました。
特に、殺菌能の著しい異常が認められました(図2A)。分子・遺伝子病態の解析を進めた結果、 発症には貪食関連レセプターCD18の遺伝子レベルでの発現制御異常が原因であることが明らかになりました(図2B)。
さらに、原因遺伝子発現を制御する新たな物質を見出し、その投与は、罹患イヌの好中球機能を回復し、 重度の細菌感染による臨床症状を大きく改善することが分かりました (Kobayashi et al, 2011)。
これらの成果は国内および国際学会で認められ受賞するに至りました。引き続き、 その発現制御機構の解析を進めることによって本症の分子・遺伝子病態の解明とそれらに基づいた診断および治療法の開発を目指したいと考えています。

図2.罹患犬における好中球殺菌能の著しい低下(A:罹患犬Case#1&2 vs健常犬 Controls)と原因遺伝子であるβ2インテグリン遺伝子の発現低下(B: Case#2)

発表論文
★Sato, R., Kobayashi, S., Abe, Y., Kamishina, H., Oda, S., Yasuda, J., and Sasaki, J. Clinical effects of bovine lactoferrin on two canine cases with familial neutrophil dysfunction. J. Vet. Med. Sci. 74:1177-83, 2012
★Kobayashi, S., Abe, Y., Inanami, O., Oda, S., Yamauchi, K., Hankanga, C., Yasuda, J., and Sato, R.
Oral administration of bovine lactoferrin upregulates neutrophil functions in a dog with familial 2-integrin-related neutrophil dysfunction. Vet. Immunol. Immunopathol. 143:155-161, 2011.
★Kobayashi, S., Sato, R., Abe, Y., Inanami, O., Yasui, H., Omoe, K., Yasuda, J., Hankanga, C., Oda, S. and Sasaki, J.
Canine neutrophil dysfunction caused by downregulation of -2 integrin expression without mutation. Vet. Immunol. Immunopathol. 130:187-196, 2009.

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(2)猫エイズ

ネコ免疫不全ウイルス(FIV)感染症は、ネコ科動物に感染するレトロウイルスが宿主の自然免疫と獲得免疫からも逃れ慢性持続感染に至ることによって、 様々な免疫不全症状が発現する感染症でHIV感染症に非常に類似しています。 このウイルスが巧妙に免疫応答の網をかい潜り持続感染を成立させる機序については未解明な部分が多く残っており、 精力的な研究にも関らずFIVワクチンを含めた決定的な根治療法がないのが現状です。 本症は、感染直後の急性期、数年間の無症状キャリア期、様々な慢性炎症が頻発するエイズ関連症候群期を経て、 ネコエイズが発症し1ヶ月程度で死の転帰をとります(図3)。
世界的に見て日本で高率に存在しているネコのFIV感染症ですが、ウイルスによる直接的な免疫細胞の傷害だけでなく、慢性化した免疫細胞の活性化状態が機能不全をもたらし、結果として免疫不全状態となっていることが研究を進める中で次第に明らかとなってきました。私達は、免疫細胞の慢性的な活性化状態が本症の病期進展に深く関与していると考え、FIVの慢性持続感染に対し免疫細胞が慢性活性化するプロセスに着目し、細胞活性制御機構の解析を進め、細胞の機能保持につながる治療の基盤となる研究を目指しています。

図3. ネコエイズ発症前(左)と発症後(右)



発表文献
★Kobayashi, S., Sato, R., Aoki, T., Omoe, K., Inanami, O., Hankanga, C., Yamada, Y., Tomizawa, N., Yasuda, J. and Sasaki, J.
Effect of bovine lactoferrin on functions of activated feline peripheral blood mononuclear cells during chronic feline immunodeficiency virus infection. J. Vet. Med. Sci. 70:429-435, 2008.
★Hankanga, C., Kobayashi, S., Yamada, Y., Momota, Y., Tomizawa, N., Sato, R. and Yasuda, J.
Adenosine deaminase activity in cats infected with feline immunodeficiency virus. J. Vet. Med. Sci. 69:881-885, 2007.
★佐藤れえ子, 小林沙織, 稲波 修, 佐藤 淳, 山田裕一, 内藤善久, 佐々木重荘
ネコ免疫不全症ウイルス (FIV) 感染におけるウシラクトフェリンの抗炎症作用. ミルクサイエンス 53:296-298, 2004.
★Sato, R., Inanami, O., Tanaka, Y., Takase, M. and Naito, Y.
Oral administration of bovine lactoferrin for treatment of intractable stomatitis in feline immunodeficiency virus (FIV)-positive and FIV-negative cats. Am. J. Vet. Res. 57 : 1443-1446, 1996.
★佐藤れえ子、内藤善久、村上大蔵、冨澤伸行、柳谷由美子、佐々木重荘
猫の口内炎に対するラクトフェリン療法.獣医畜産新報 47 : 889-893, 1994.

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ラクトフェリン

ラクトフェリンは鉄結合性糖蛋白で、乳汁中や涙液、唾液、鼻汁などの外分泌液や好中球の2次顆粒の中に含まれており、 その強い鉄結合力で細菌の増殖に必要な鉄を奪うことによって増殖を抑制したり、直接細菌の細胞膜表面に結合して破壊することにより 殺菌効果を示すことが明らかとなっています。
また、さまざまなウイルスに対する感染増殖抑制効果や免疫細胞への種々の調節作用を介して、 生体内での宿主感染防御システムの中で重要な役割を演じています。 現在では、このようなラクトフェリンの生物学的活性を臨床応用する試みが盛んに行われるようになってきました。 ネコの口内炎に対するに対する治療効果やヒトの口内炎・歯周病への臨床応用、皮膚疾患への応用あるいはヒトの腫瘍性疾患への臨床応用などがあげられます。 獣医学領域や医学領域のこうした取り組みは、今後ますます増えるものと考えられます。

ラクトフェリンは分子量約80kDaの鉄結合性糖蛋白質で、私たちの生体内の色々な部分に広く分布しています。 その生物学的活性は実に多様であり、生体内において種々の機能を発揮しているばかりではなく、その機能の多様性を利用して、 分離精製されたラクトフェリンを食品や化粧品、目薬などに添加して製品化しているものもめずらしくありません。 その主な機能は表1に示したように、実に多岐にわたっています。私たちが従事している小動物臨床の分野でも、 ネコやイヌの口内炎にウシラクトフェリン粉末を局所投与する温存療法が行われています。 この他に、ヒトでは血中ラクトフェリン濃度の測定を好中球の回転マーカーや感染マーカーとして応用したり、 ウシでは乳汁中のラクトフェリン測定により乳房炎の診断が実施されています。 このようにラクトフェリンはさまざまな機能を有することから、これに関する研究を行っている研究者の数も多く、 2年に1回ラクトフェリンに関する国際学会も開催されています。



発表文献
★Yamada, Y., Sato, R., Kobayashi, S., Hankaga, C., Inanami, O., Kuwabara, M., Momota, Y., Tomizawa, N. and Yasuda, J.
The antiproliferative effect of bovine lactoferrin on canine mammary gland tumor cells. J. Vet. Med. Sci. 70:443-448, 2008. 
★Kobayashi, S., Sato, R., Inanami, O., Yamamori, T., Yamato, O., Maede, Y., Sato, J., Kuwabara, M. and Naito, Y.
Reduction of concanavalin A-induced expression of interferon-gamma by bovine lactoferrin in feline peripheral blood mononuclear cells. Vet. Immunol. Immunopathol. 105:75-84, 2005.

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