竜 安 寺
アプローチの庭がこんなに大きいとは、
なぜか石庭の印象に消されて前庭の印象が飛んでしまったらしい。
寺院に入り、石庭の前に腰掛け、心を統一しようとしたがならず。
脇の濡れ縁に腰掛け暫し心の落ち着くのを待つことにした。
3月の風は冬の名残を足下に運んできて、身を引き締める助けとなる。
新古今が好きである私にとって、この石庭は
皮肉とも思える「花も紅葉もなかりけり、浦の苫屋の秋の夕暮れ」を思い出させるものであったはず。
油塀はその重厚さを時の流れに洗い流され、
さりげない汚れ古びた壁に変じて三方を囲み小空間を切り取っている。
ただ淡々と着けられた掃け目は、ジェット機より雲の下に垣間見た平らかなる大洋の様で、
さりげない島影が春3月の陽光に光っている。
小空間の中で鳥のごとく舞い上がり
果てしなき空間の繋がりの中から宇宙の中の小宇宙を俯瞰し、
自己が宇宙に溶け、すべての中の一つとなった自分に気づかされる。
自分が自然の宇宙の一部であることを、それも単なる一滴であることを、
そして、単なるという修飾語も空しい修飾語であることに気づかされる。
手入れのよく行き届いた庭、苔の優しさに覆われた木々が静かに立つ。
梅園を巡って花の香に心を楽しませる。
池の向こうにお椀を伏せたような山々がおとぎ話の山のように優しくたたずみ、
箱庭の中で遊ぶ小人になったかのようである。