妙 心 寺
大心院 阿うん庭
竜安寺の石庭にも似た長方形の庭、
しかしここには木あり草ありさらには花壇ありの雑然とした家庭的雰囲気、
多分かつては花壇なぞ無かったに違いないが、世の常、花を愛でたい寝所さんでも居たのであろうか。
幾多の識者の僧を輩出したというお寺故に、頑なに古来の風を維持せず、その生に忠実であったがためであろうか。
庭の維持には精神的な安定と深い洞察力が必須なのかもしれない。
そこには今ある生の楽しみではなく、普遍の宇宙観の中にそれを点として組み込める心が必要であろう。
その奥に、何と、阿うんの庭を発見。
小さいが人間界と自然そして世界の一端が垣間見られる空間を作り出している。
悠として宇宙に飛び出すには少々木々がじゃまである。
そこには小さいが長い生の営みが厳然として生を歌っているのである。
そう、これは営みの中に小宇宙を作ろうとしているのかもしれない。
しかし、美しい自然に心を遊ばせ、そこに小宇宙を抱くは、心休まることである。
退蔵院 余香園
緩やかな斜面状の庭の片方は水音大きく、数段の滝を配した川流れ落ちる。
小空間にもの多すぎる感じはするが、春の午後の光にのんびりとしかし毅然とした世界を作っている。
夏にこの藤棚の下、涼をとるは別天の世界であろう。
流れる水そして音、なにもかも覆い隠す水音、 別世界に遊ぶ。
遊ぶはずの自分はこの音の騒がしさになぜか長居できそうにない。
きっと水はもっと量が少なかったのではないか。
もちろん今は春、水音激しく、緑の胎動を促しているのであろうか。
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