寒冷バイオシステム研究センター | ||||||||||||||
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>年報 1998 (Vol.1)>VII | [ 目次 | 巻頭言 | I | II | III | IV | VI | VII ] |
寒冷シグナル応答研究分野 助教授 木藤新一郎
昨年、中国の吉林農業大学を訪問する機会を得た。岩手大学農学部と吉林農業大学とは提携関係を結んでおり、交流活動の一環として岩手大学側から派遣される訪問団の一員として参加することができたのである。飛行機の手配やビザの申請等の面倒なことは同行した事務部の久保さんがすべて代行してくれたので、海外旅行のツアーに参加するようなものだったが、中国側との日程調整で学会直前の大変忙しい時期に訪問することになり、かなり慌ただしい出発になってしまった。実際、日本を発つ数日前は学会で使用する資料の準備に追われ、内心「応募するんじゃなかった。」と後悔していたほどである。 しかし、そんな後悔の念も、中国に着いて万里の長城や故宮といったすばらしい世界遺産を見て微塵もなく消えてしまった。万里の長城にしても故宮にしてもテレビでは何度も見ていたが、その大きさは想像を遙かに超えるものであり、驚きと感動の連続であった。また、北京の町並みにも驚かされた。私が抱いていた北京のイメージは、天安門広場と広い道路を群をなして走る大量の自転車くらいであったが、実際の北京は高層ビルが林立する大都会で、広い道路に走っていたのは自転車でなく大量の車であった。自転車用には、車道の脇に専用道路(日本の車道よりも広い)が設けられていたが、ほとんど見かけなかった。中国も、とっくの昔に車社会になっていたようである。また、街はファッショナブルな服装をした若い人達で活気に満ちており、まさに東京をしのぐ大都会となっていた。テレビでおなじみの人民服を着た人は皆無で、デパートにも入ったが、売られている商品は日本のものと変わりがなかった。ただ、一歩裏通りに入ると崩れかけた煉瓦づくりのアパートが建ち並び、そこには表通りとは異なった人々の生活が存在していた。案内をしてくれた魏(ウェイ)さんの話によると、経済解放政策になって以来、富める人と貧しい人の生活水準が大きく開いてしまったとのことである。ほかにも、車道を走るロバや馬の話、車や歩行者の交通マナーに関する話、一風変わった公衆トイレや赤いタクシーの話、文章にできない夜行列車での出来事など、異文化に接して驚いてしまった話やおもしろい話は山とあるが、今回の訪問は観光が目的でないので前置きはこれぐらいにして、吉林農業大学での出来事に話題を移す。
吉林農業大学は、旧満州国の首都がおかれていた長春(満州時代は新京と呼ばれていたそうである)の郊外にある農業大学で、100年の歴史を持っている。なるほど、学内には歴史を漂わせるような重厚な建造物が数々あり、瓦屋根の中央棟などは色といい形といい、その風格を十分に漂わせていた。また、学内のいたる所に設置された花壇には美しい花々が咲き乱れており、手入れが行き届いていた。大きな庭園や銀杏の並木道を含め、緑の多い非常に美しい大学である。大学に到着した我々一行を待っていたのは熱烈な歓迎パーティーであった。学内にある宿泊施設を兼ねた迎賓館に通され、李学長をはじめとする中国側の代表者と若干の形式的な懇談を行った後、その歓迎パーティーは始まった。乾杯の嵐である。中国東北部では客人をもてなすとき、かなり強い酒をグラスに注ぎ、全員で「乾杯(カンペー)」と言って一気に飲み干すという習慣がある。話には聞いていたが、パーティーの間中、絶え間なく続く乾杯は、酒にそれほど強くない私にとって、なかなか厳しい状況であった。しかし、席上には豪勢な中華料理が大量に並べられ、次から次へと美味しい料理が運ばれてきて、本場の中国料理を堪能することができた。飲み過ぎで二日酔いになることを少し心配したが、無意識のうちに気合いで防いだのか大丈夫であった。まあ、仕事をするために中国に行ったのだから当然である。
翌日は、崔(Cui)教授の研究室を訪ねることになった。日本を発つ前に中国側から「どの教官とコンタクトをとりたいか。」との打診を受け、崔教授の名前を挙げておいたのである。崔先生は、前年に当センターの前身である細胞育種実験施設に来られ、野生のマコモを使った耐寒冷性イネの作出に関する研究の話をされた関係で面識が多少あり、その後の研究の進展状況も聞きたかったので訪問の希望を伝えておいたのである。研究室では、崔先生以外にも10名程度の植物育種や植物生理に携わっておられる先生方が集まっておられ、自己紹介を済ませた後、互いの研究内容について話し合うことができた。日本を発つ前は、吉林農業大学が中国東北部の寒冷地帯に在ることから、私の所属する寒冷バイオシステム研究センターで進めているような生物の寒冷応答やその耐性機構に関する研究が精力的に進められているであろうと想像しており、オーバーラップするような研究テーマがあれば共同研究を申し込もうと考えていた。しかし、実際に話を聞いてみると、低温と生物との関係についての具体的な研究を展開している研究者は少なく、私が日本で聞いた耐寒冷性イネの作出に関する研究を展開しているのも崔教授を含めて数名の先生だけであることがわかった。多くの研究がトウモロコシに関するものであると聞かされ少し驚いたが、思い起こしてみれば北京から長春に向かう汽車の窓から見えた風景は確かに延々と続くトウモロコシ畑であった。そんな訳で共同研究をすぐに立ち上げる状況にはなかったが、私の研究内容(植物の低温春化機構)を説明すると、興味を持って聞いていただくことができた。吉林農業大学には遺伝子を直接扱われている人がいないと言うことで、私が研究に利用している分子レベルでの生命現象の解析方法に関しては、熱心に質問をされた。懇談は片言の英語以外、すべて日本語と中国語の通訳を通してであったが、通訳をしてくれた女性が吉林農業大学で植物関連の研究をしておられる助手の先生ということもあって専門用語の知識もあり、ほとんど問題なく話を進めることができた。懇談の後、学内をいろいろと案内され説明を受けたが、またしても文化の違いを感じることとなった。一番信じられなかったのは、先生と学生が利用する食堂が別々に設置されているという点である。先生が学生の食堂を利用するのは可能であるとのことだったが、混んでいるから滅多に利用しないそうである。また、購買部の従業員が卓を囲んで麻雀をしていたのにも驚いた。通訳の人に聞いたら「休み時間でしょう。」との返事だった。昼時もかなりすぎていたので詳しく聞き直してみると、昼休みは2時間あるとのことだった。大学が午後の4時に終わると聞いたときには少し絶句してしまったが、教官の多くが長春市内のアパートに住んでおり、大学とのシャトルバスが4時すぎで終わってしまうからだそうである。運転手も5時以降は仕事をしないらしい(この点については私の想像でしかない)。とにかく、驚きの連続であった。
吉林農業大学での3日目は、吉林省農業科学院を訪問することになった。前日の懇談の中で遺伝子に関する話題になった際、崔教授が「近くに遺伝子工学を行っている国の研究所が在るから一緒に行こう。」と誘ってくれたのである。吉林省農業科学院は日本の農業試験場に相当するもので(間違っているかもしれない)、かなり大きな施設であった。大豆の研究では中国でも指折りの成果を上げている研究施設だそうである。施設内を案内してもらったが、確かに吉林農業大学よりも立派な機械が数多く入っており、遺伝子工学を行うのに十分な設備を整えていた。最新鋭のPCR装置(遺伝子を増幅する機械)が導入されていたのにも驚かされたが、「パーティクルガンを使って形質転換植物を作成している。」と聞いたときにはもっと驚かされた。特許の問題が気になったが、彼らは気にしてないようだ。ここでも私個人の研究についてプレゼンテーションを行う機会が与えられ、その後、多くの研究者と懇談する機会を得ることができた。その中で、ある研究員からイネの低温耐性に関する研究を展開している人を紹介してもらうことができた。日本に帰ってからの手紙のやり取りで、この研究者は耐冷性の高いソマクローナル変異体(イネカルス)を作出し、その解析を進めていることがわかった。この研究者との出会い(実際には一度もあっていないが)は思わぬ収穫であった。
最終日は、午前中に学生や関連する先生を対象とした講演を行ったあと、送別会を開いてもらった。当然、そこには例のお酒と乾杯の儀式が待っていた。中国ではいろんな人に出会ったが、みんないい人ばかりである。明るくて、親切で、心が広いというのが率直な感想で、余裕のある生活パターンがそうさせているのかもしれない。帰りに大連(経済開発特別区)に寄ったが、そこは想像以上のビルが林立した大都会であった。10年前まではすべて農地だったそうであるから信じられない。まったく、中国の底力は計り知れない。この勢いで中国の経済成長が成長し、大学の研究設備の充実が図られることを希望する次第である。少し、末恐ろしい気もするが。
吉林農業大学における分子細胞生物学的な分野での研究水準は、私の目で眺めた限り発展途上であるが、実験装置が設備されていない状況では仕方がないと感じた。しかし、そんな不利な条件でも崔先生のような独創的な研究(既存の技法を用いない遺伝子組換え法の確立)は生まれている。ちなみに、吉林省で栽培されているイネの大部分が崔先生がマコモの遺伝子を導入して開発した形質転換イネ(人為的に改変した遺伝子を導入しているわけでないので狭義の遺伝子組換え体ではない)であるとのことで、本当にすばらしい研究成果である。
今回の渡航目的は学術交流であると同時に共同研究の模索であったので、当センターに所属する他の教官の研究内容やセンターの実験設備等についても多くの時間を割いて紹介してきた。今後、この訪問をきっかけに、我々の分野においても吉林農業大学と岩手大学との学術交流を積極的に進めていきたいと考えている。最後に、吉林農業大学を訪問する機会を与えて下さった農学部国際交流委員会および北水会のみなさまと渡航に当たり大変お世話になった事務部の久保さんに、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
本研究センターは平成8年4月にスタートした浄法寺町と岩手大学農学部の間の交流研究『浄法寺町における地域活性化のための農学研究』(岩手大学代表者 高橋 壮 農学部長)に参加し、以下のような研究を行っている。
なお、この交流研究プロジェクトは平成10年度で終了する。
〈研究グループ〉
起業及び起業家育成のための戦略とその試行に関する研究
〈研究課題〉
細胞機能に影響を与える新しい生薬成分のスクリーニング
〈研究内容〉
本研究は当初、浄法寺町を「漢方の里」として振興をはかることを考慮したものである。浄法寺町で栽培しているシャクヤク、トウキおよびキッソウなどの薬草から細胞増殖阻害などの生理活性をもつ新しい成分を同定・分離し、産業化の基盤をつくることを目的としている。
本共同研究は花巻市起業化支援センターおよび岩手県中小企業団体中央会により支援された共同研究である。以下の研究を推進し、地域産業の起業化を図る。
〈共同研究〉
(株)アクアマックスセンター中部(代表 浮所正男)
〈研究課題〉
水耕法による低温での植物生産に関する基礎研究
〈研究内容〉
水耕栽培を活用した寒冷地農業の可能性を探るため、低温下でも生育できる青しそやトマトなどの育成や、水耕ポット、水耕溶液等の改良を行おうとしている。これらの研究は、冬場のハウス栽培におけるエネルギーコストの削減につながるものと期待される。